【スープラ】飯田章とスープラ【電光石火】

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【スープラ】飯田章とスープラ【電光石火】

現在のGAZOOレーシングチームの監督兼ドライバー飯田章氏をご存知でしょうか?最近では、新型スープラの試乗などでちょくちょく姿を見ることもあると思います。また、GAZOOレーシングチームに興味のある方なら、当然ご存知だと思います。そんな飯田氏のヒストリーを追っていきましょう。

出典:http://www.photo-ac.com/

GAZOOレーシングチームの監督兼ドライバー飯田章

日産のドライバーとして活躍

19歳の時、富士フレッシュマンレースで鮮烈デビューした飯田章氏。初戦で3位という快挙を成し遂げ、以降レーサー人生を歩むことになります。3年の時を経て日産のワークスドライバーに合格しました。主にこの頃、ニスモ・カストロールGTRに乗っていて、N1耐久レースなど参戦を果たしていました。日産のワークスドライバー在籍は、5年ほどでしたが、いろいろな人とチームを組み数々のレースで活躍を見せた時代でした。 1 2

海外からホンダで活躍

日産ワークス時代に、飯田氏に大きな転機が訪れました。それは、高橋国光、土屋圭市と組んでチーム国光のHONDA NSX GT2を駆ってのル・マン24時間レースへの参戦です。この時、GT2クラスで優勝という成績を残しました。これが、ホンダとのかかわりを持つきっかけとなった出来事です。また、この後、国際F3000選手権にフル参戦するため、海外での活動が中心となりました。1996年の出来事でした。1997年の国内戦復帰から、土屋氏が抜けた後釜として、チーム国光に参戦することになりました。これが、飯田氏のホンダワークスとして活動するきっかけとなった出来事です。1999年に引退した国光氏とコンビ勝利を挙げた富士スピードウェイまでが飯田氏の全盛期とも言えます。翌年2000年になると、服部尚貴氏や伊藤大輔氏などとコンビを組みますが、思うような結果が残せませんでした。 3

そしてトヨタへ

2002年にトヨタワークスのチーム・ルマンに移籍しました。この時、脇阪寿一とコンビを組み、スープラで移籍初年度ドライバーズチャンピオンに輝きました。飯田氏の移籍は大成功だったと言えます。その後、スープラだけでなく、セリカやポルシェ、レクサスなど数々のスポーツカーを操り入賞を果たしています。それから16年後、飯田氏は、宮田莉朋にシートを譲る形で同チームの監督なり一線を退く形となりました。ですが、飯田章氏は、現役のレーサーでもありますので、後進の育成にまわったとはいえ、まだまだ現役でありレーサーです。 4 5

まとめ

GAZOOレーシングチームの監督兼ドライバー飯田章氏でした。レーサーみんなに言えることですが、やはり若いうちから何かしら才能を開花させているんですね。飯田氏に関しては、途中スランプ期もありましたが、概ねビクトリーロードを歩んできたんじゃないでしょうか?今後は、後進の育成にも力を入れていくようですので、まだまだ飯田氏から目が離せません。もう一度何か起こしてくれそうなそんな気にさせる不思議な人物でした。